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私の人生のベースになった祖母との記憶

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【0歳~1才】

ベビーベッドに寝ながら天井からぶら下がっているオルゴールが回っているのを眺めていた、大人しくしていた。

【1才~2才】

おまるに自分1人でできた時、祖母がかなり喜んで褒めてくれた。

あまりにも喜んでくれるので味をしめた私はちゃんと大人のトイレで(その当時(50年前)ではめずらしく)様式便器に座ってしてみせました。

大絶賛でした。私も満足した記憶。

反して嫌な記憶もあり、まだ1才になる頃高熱を出したので坐薬をされたのですが痛くて泣いたら祖母と母親が大笑いしていた時、なんてヒドイんだろう・・・と思った。

祖母はかなりのギャンブラーだったらしく麻雀で全ての資産(家やら土地)を賭けてしまったり、逆に手に入れたり、昔の人は登記簿を持ってきてたらしい・・・。

そんな祖母に連れられて競輪・競艇に、お菓子がたくさん入ったバックを持たされ近くの公園で待たされたりしていた。

ある夏の日、プールがありグンゼのパンツ一枚犬だかトラだかの形の浮き物を渡され「一人で遊んで待ってろ」と言われましたが・・・プールに落ちておぼれ死しかけました。

うっすら記憶ですが、たしか監視員の人に「一人なの?誰と来たの?」と聞かれて

「おばあちゃんと。いまお仕事行った、すぐ来るから大丈夫」みたいな会話をしたと思います。

そしてプールサイドに座って足を水に入れてたら風で浮き物犬?トラ?が流されてしまい手をのばしたらドボンと
プールに落ちておぼれかけ監視員の人がすばやく助けてくれてセーフでした。(たぶんちゃんと監視してくれていたのでしょう)

その後、事務室に連れて行かれ「誰と来たの?」の質問に「おばあちゃんと来た。今仕事に行ってる。

すぐ来るって、おかしいなぁ、遅いね」とか明るく振る舞って平気ですみたいな風を一生懸命してました。

ちょっと怪訝そうな顔してましたね、皆さん。

それはそうですよね。2才やそこらの幼児が一人でいて死にぱぐったのにヘラヘラしてたらヤバイですよね。笑

アナウンスしても祖母がなかなか来なくてどれ位だか忘れましたが、やっと迎えに来たとき怒られてましたね。

帰りの道中、祖母が私に「ママにこのことは内緒ね、おばあちゃん怒られちゃうから」と言うので

「わかった、ナイショ!」と心良く返答。

祖母が好きだったので怒られたらかわいそうと思っていました。

またある時、祖母に抱かれて電車に乗っていた時の事件。

ドアの所にいて、ドアが開いた時まんまと手がドアの戸袋に一緒に入ってしまい、はさまって取れなくてギャン泣き、ドアが閉まって無事に手も抜けて大丈夫でした。

はさまってる間もその後も私は泣いてましたが、それこそはさまっている時はすこしオロオロしてましたが取れたとたん「大丈夫!大丈夫!なんでもない。」と笑ってました。

心で「え~?!」「ちょっと痛かったけど、ばあちゃん笑ってるし大丈夫って言ってるからいっか」みたいな記憶です。

子供の手とか体ってやわらかいのでなんともなかったので。それと祖母の強引な暗示を素直にインプット。笑 

バッチOK。笑

この辺りの経験が「3つ子の魂百までも」のとおり今50年「大丈夫と思えば何事も大丈夫。」の基盤になる。

逆に言うと「大丈夫」と自ら決めるという感じ。

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この記事を書いた人

家族や過去の経験は私を形作る大きな部分ですが、50年以上のマイノリティなアイデンティティを通じて、自分自身と周りとの向き合い方を学んできました。「あなたの人生の答えを、自分で正解に。」この言葉は、生きづらさを感じるすべての人に送りたいメッセージです。魔法のようなワンステップロジカル思考術を通じて、私は自分の人生を根本から変える旅をしてきました。

この旅は、ただのスキルを超えたものです。自分自身が選んだ道で、出した答えを自身の正解に変えるための生き方です。これからも、マイノリティであることの力と、ライフデザインシンキングを提唱し、広げていきたいという想いを持っています。

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