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【私の人生の分岐点についての話】②

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「引き寄せの法則」もフル回転して全てあっと言う間に叶えてしまいます。

タイから帰国した後もまだ私の願いが残っていました。戸籍を変更したら結婚をして自分の家族をつくる事。

その当時つきあって10年位の彼女と一緒に暮らしていました。その彼女の家族とは面識があり女として会っていました。

なので帰国後、結婚について話し合いをする事に。

まず両親・おねぇさんにカミングアウトをしなければならない事、彼女自身がどう考えているのか。

しかし、私は人生で一番楽しいハズなのに憂鬱でした。なぜなら、その彼女とは結婚したいと思っていなかったから。

彼女が20代後半から30代前半を費やさせてしまったという責任感のみで結婚しようと思っていました。

またもや私は自分をおしころす選択をしようとした時、彼女が「他の女と結婚されたらこまるからするケド、別に本当はしなくてもいいと思っている」と言った時、目が覚めました。

「2人共、結婚をのぞんでないのに意味のない事をする所だった!」あぶなっっっいと、その日の夜から私は自分を解放しました。

夜の街、新宿へある女性に会いに車で向かいながら「俺は自由だぁ~!」と歓喜をあげました。

その時の事はいまでも忘れていません。

自分の人生の中であれ程うれしく思った時は無かったと思います。

それには2つの理由があり、1つは半年位前から街にいる女の人を見ては、こんな感じの人がいいなぁとか色々と物色しては理想の女性を想像していました。

その理想の女性に帰国してすぐに出会えたのです。その人に会いに行く道中だったから。

もう1つは勝手に心の底からワクワクして浮かれ調子でいる自分がとても楽しかったから。

その後1ヶ月もしない内にその理想の彼女にプロポーズをしました。

元彼女との別れに2ヶ月程費やしましたが、別れも整って彼女と出会って半年後に入籍しました。

それがタイから帰国7月→彼女と出会う→10月戸籍変更→翌年3月入籍→9月結婚式を挙げる

私の周りの友達はどうなってるの?!みたいな感じでした。

ただハタから聞いたら元彼女に対して非道とも思える行動ですが、私をよく知っている友達からはあれだけやる事やっていたのだから責められる所は無いと言ってくれます。

私もそこには自信がありました。

120%で全力をつくしていましたので、思い残す事無くお別れを決意できました。

元彼女からしたら信じられない程、私がかわってしまった様に思えたらしいです。

終わる時はズバッと切れるのが受け入れられないみたいでした。

私も含めて、治療前からつきあっているカップルは別れやすい様です。何組か別れがあった話があります。

理由は彼女の方はだいたい体の心配をして治療する事に反対意見が多いみたいです。

そしてホルモンの作用で変わっていくのも受け入れにくいのだと思います。

「今のままの〇〇でいいよ、今の〇〇が好きだから」と口を揃えて言う様ですが、こちら側からすると、女の自分が好きでレズビアンな関係であると言われている気持ちにさせられて複雑な心境に陥る、そして揉める。

男として受け入れてもらいたいのにそれが叶わない。

かなりショックです。

人それぞれなので仕方が無い話ですね。

理想の女性を見つけ結婚までに至るには問題もありました。

彼女側の家族(お母さんとお姉さん家族)にカミングアウトするかどうか、2人で相談した結果カミングアウトする事になり、お母さんに電話で話した所、拒絶されお姉さんにも反対されました。

会う事も拒まれていたのでショックでしたが、数日後お姉さんの方から連絡がありフリーマーケットをするので一緒に参加しないかとお誘いを受けました。うれしかったです。

お姉さんのダンナさんが説得と言うか話をつけてくれたらしく「妹さんの選んだ人なんだから、もう子供でもないし信じてあげたら?」と言ってくれたと後で聞きました。

ありがたいです。

私の方としても、とりあえず会ってもらえればきっとわかってもらえるし認めてもらえると確信していましたので、心配はしていませんでした。

当日、お姉さんの横にならんで座った時に自分の方から声をかけさせてもらい、心配させてしまった事を謝罪したらとても気さくに色々と質問してきてくれて少し拍子抜けする程でした。笑。

本来、友好的な人ですがやはり知らない人種に子供もまだ小さかった事もあり防衛本能が働いた様に思えます。

その後、お姉さんの方からお母さんの方に話をしてくれて一緒に食事をする機会をもうけてもらい一件落着しました。

今では家族同様に接してくれています。

お母さんにいたっては月に一度のペースで家に泊まりに来ているのですが、そのつど私の事を知っていつの頃からか「出来たダンナ様」と思ってくれている様です。

ここはとてもうれしいかぎりです。

真面目に生きてきて良かったと思えました。

10年をかけて確実なものになりました。

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この記事を書いた人

家族や過去の経験は私を形作る大きな部分ですが、50年以上のマイノリティなアイデンティティを通じて、自分自身と周りとの向き合い方を学んできました。「あなたの人生の答えを、自分で正解に。」この言葉は、生きづらさを感じるすべての人に送りたいメッセージです。魔法のようなワンステップロジカル思考術を通じて、私は自分の人生を根本から変える旅をしてきました。

この旅は、ただのスキルを超えたものです。自分自身が選んだ道で、出した答えを自身の正解に変えるための生き方です。これからも、マイノリティであることの力と、ライフデザインシンキングを提唱し、広げていきたいという想いを持っています。

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