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【私の人生の分岐点についての話】③

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私の友人の話

私の友人の話ですが、その人もFTMですがノンホル未治療で表向き女で働いていたのですが、バツイチ子持ちの彼女ができてその彼女は当時、男の子と女の子(小1、幼稚園児)の子供がいて近くに両親がいたらしく子供も親に預けてデートをしていて「なにやってんだぁ!」と怒られFTMの友人はこれではいけないと両親に挨拶に行きボロクソにけなされたらしいのですが、その後信用を得て一緒に旅行に行くまでになってめでたしかと思いきや9年位つきあった後、別れたときかされました。

しばらく連絡を取っていなかったので詳しい事はわかりませんが、友人は本当に真面目に働き彼女達を養っていたらしいのですが、朝から深夜までクタクタになるまで働きケンカが絶えなくなったそうです。

友人からすれば、これだけやっているのに彼女からすればそこまで頼んでないみたいなすれ違いが出来た様です。

何でも度を超えて本来の目的を見失ってしまう、がんばっても報われない結果に。

パターンとしてはFTMである友人は元々真面目に仕事をするタイプでしたが、男として認めてもらう為にがんばりすぎて自分のがんばりをもっと評価してほしいという要求が強く出た様です。

私も気持ちはよくわかります。

ただそれはあくまでも本人(自分)の為だけの行為になってしまいます。

当事者としては「イヤイヤ、男として当たり前の事じゃないか!」と(昔の男が稼いで養っていく事)思っているのですが正直に言います、ノンホルで素のままでいると傍から見ると女性なんです。

彼女は彼氏としてつきあっていますが、彼女からすれば自分の為に女の人をこき使っている様に思ってしまいます。

本当に男なら、もしくは外見が男にしか見えないのならもう少し気軽に受け入れられたと思います。

どうしても本能的に普通の女性の感覚であれば女の人にそこまで強制できないし、同じ女の体の限界に同調してしまってツライ気分になってしまうでしょう。

ダメ押しで相手に「こんなにがんばっている」アピールされた日には「私が悪いの?強制してない!」となりますよね。

残念ですが、よくある話です。

昨今は色々と考え方・スタンスが変化してきているのでよくわかりませんが、私は従来の「男らしく」とモットーに生きているので、傍から見ても普通に背の低いおじさんでいます。

自分的にも仮にキレイなおばさんになれたとしても、ちょっとキタナイおじさんになる方を選びます。

ただ余談で40も50も過ぎてくると私達昭和生まれ組は変なの(?)が多く、あれだけ女でいるのが嫌だったハズなのにある程度のステイタスに達して「おばさんキャラ」がたまに出てきます。(笑)

これは「行って返ってこい」と呼んでいて(うちわで)すっかり男という事が定着して安心できたから敢えて女のフリを楽しんでみるみたいな遊び(?)があったりします。

人はなんでも無い物ねだりなのかもしれません。笑・・・。

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この記事を書いた人

家族や過去の経験は私を形作る大きな部分ですが、50年以上のマイノリティなアイデンティティを通じて、自分自身と周りとの向き合い方を学んできました。「あなたの人生の答えを、自分で正解に。」この言葉は、生きづらさを感じるすべての人に送りたいメッセージです。魔法のようなワンステップロジカル思考術を通じて、私は自分の人生を根本から変える旅をしてきました。

この旅は、ただのスキルを超えたものです。自分自身が選んだ道で、出した答えを自身の正解に変えるための生き方です。これからも、マイノリティであることの力と、ライフデザインシンキングを提唱し、広げていきたいという想いを持っています。

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